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Coast 2 Gulf
Bandale Abbas
Bandale Abbas
短いようで長かったようでどっちでもないようなイラン旅行もここで打ち切り。
次なる国に向けての最後の街はバンダル・アッバス。
イランの南端の沿岸からペルシア湾を望める街です。

この2,3ヶ月でようやく上着を脱ぎ捨てるときが来た。
Bandale Abbas
Bandale Abbas
ここは、この旅行でも初めてなくらいのヤシノキが多い茂る、南国ムード60%の所。
街もほどほどに汚く、インドのようなアジア感が漂う。
貿易系インド人も多い。
Bandale Abbas
Bazzar
まぁ、観光スポットもそんなになく、そのうえ割と都会、という滞在には不向きな街なんですが、次の国・アラブ首長国連邦へ船で。と決めたため来ることになった次第。

けど、やっぱりイラン人のいるところに観光スポットは不要でした。
海岸でチャイ飲んでるだけでも人が集まってきて、そこが観光スポットと化す(ようなニュアンス)。
Rip Slyme
Iranian Rip Slyme
ここの人たちは暖かいところの人特有のオープンさとフレンドリーさがありました。

また、ウミノコの僕は、海を見ながら過ごすだけで元気なると錯覚できる。
Percian Gulf
Pelcian Gulf
海辺で本読んだりお菓子食べたりアラビック講座をしたりと、イラン最後の時間を贅沢にゆっくり過ごしました。
Bandale Abbas
Percian Gulf
海は汚い。

イラン旅行はほぼ1ヶ月。
実際、旅行してて1ヵ月なんて長かったとも短かかったとも感じられません。

けどこのイランの旅行、「濃かった」ということだけは実感できる。
Bazzar
Bandare abbas Bazzar
「イラン、もう1回最初からやり直し」て言われたらアレもやったしコレもやったしナニもやったし。ていう"時間軸を無視した経験"のみがフラッシュバックする。
当然そこに、「長かった」「短かかった」と考える隙はないわけでした。

だけじゃなく、日本を出発して約6ヶ月。
その間に起こったことを思い返すと6ヶ月では納まりきれそうにない出来事が詰まってる。
けれど、それが長かったのか短かったのかは、やっぱりどう考えても分かりません。

時間を無視できる生活を続けれていることを、イランのシメの街でひしひしと幸運に感じました。
Bazzar
Terminal
| stroll1 | 18.Iran | 02:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
Yazd de New Year
Yazd Amir Chag Mhag
Yazd Amir Chag Mkhag square
遅ればせながら昨年末の出来事。散々悩み倒した挙句、年越しは「ヤズド・デ・ニューイヤー」に決定。
もともとイラン内というのは必然的に決まってしまってたんですけど、旅行者がみんな「いい」「良い」と言っていたヤズドで迎えようと、なんとなく考えてたらそうなりました。
Yazd
Yazd Row
他にもバム、とかバンダルアッバズ、とか色々考えたんですけどね。

1つ希望があったのは、少しでも暖かいところで、ということ。
個人的な実感として、"寒い"より"暑い"、の方が旅行っぽいというだけの話なんですが。

なんか迷いだらけの中決まってしまった「ヤズド・デ・ニューイヤー」ですが。
着いてみて大正解。
Yazd
Yazd Over View
ヤズドは、他のイランの街よりもより濃く、アラビヤンと呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出している。

街は法律で決まってるかのように、土塗り一色。そこにアクセントを加えるようにブルーのモスクが点在する。
Yazd
Yazd Over View
到着した午前4時、その雰囲気のせいで一気に正月気分は吹っ飛んだ。
新年をどこで迎えるか?とか何とかいう煩悩を、年越し前に振り払ってくれた感。
Yazd
Yazd Street
あんまし深く考えずに、さらっと来とけばよかったです。

そんなこんなのヤズドは、街歩きも楽しいしイラン人もイラン人に輪をかけたように気さくやしウェルカムやし(それはまぁどこの土地でも同じか)。
Yazd
Yazd Row
街は、その昔、琵琶湖タワー遊園地で入ったことがあるような、巨大な迷路みたいな造り。しかもこの迷路、行き止まりがやたら多い。スタートもゴールもないんですが。


また、道が狭いから出会いも近い。
ふらふら歩いてると凄い近くでイラン人のおばちゃんが指で行き先を指したりしてくれるんですが。
そこ行っても何にもなかったり、行き止まりやったりする。
で、また戻ったらそのおばちゃんはニコニコしながらこっちを見てる。
おばちゃんの顔といい、街の雰囲気といい、その全てのシチュエーションにアトラクションを感じた。
Yazd
Yazd Row
あと、心地いいトリップ感も。

その他、おじいさんや停まってるバイク、ネコまでもが絵になる不思議な魅力を持った街でした。
Yazd
Yazd Row

もはや肝腎でも無くなった年越しは、最初で最後の贅沢といわんばかりに、泊まってた宿でのビュッフェディナー。そのままみんなでギター弾きまくり、ロシア人旅行者がロシア民謡歌いまくりで、もの凄いオリエンタルなものとなった。
New Year
New Year Party in Silk Road Hotel
一応、初詣がてらモスクへ行ってみましたがクローズ。当然ですよね。


2010年の正月はこんなに実感が無いものになるとは思いませんでした(旅行を続けているとさえ思っていなかった)。この辺まで来ると、結果でもある「思いもよらなかった、ということ」が1つの正解になり得るような。

あまり深くは考えられませんけど。
また、決して思いもよらないことを期待してるわけではないんですけど。
Yazd
Masjed Jahme

もしこの先の結果が良くない方向へ行くとしても、今の自分がいるその過程が旅行なのかな、という根拠のない且つ漠然とした想いからくる精神で、目の前の偶然に飛びついていきたいと思います。

その偶然を必然に変えてしまうのも過程というモノのなせる業なんですけどね。
あと、遅ればせながら今年もよろしくお願いいたします。
Yazd
Yazd 2010 Tiger
| stroll1 | 18.Iran | 02:21 | comments(2) | trackbacks(0) |
Iranian 1P
PersePolis
Persepolis Relief
イランのハイライトの一つ・言わずもがなのペルセポリス。
またの名を「中東の3Pの内の1P」。他の2Pは果たして行けるのか?


PersePolis
Persepolis Hourse
教科書で見て以来のご対面は懐かしさ、とか「本で見たことある!」とか、そういった感情にはなりませんでした。
PersePolis
Persepolis
やっぱり別物。けど小さな写真にしろ見たことがあるから、その効果がオーラとなってその存在を際立たせていたのは事実か。

圧巻の存在感の原因、理由は残された見事な柱の数々。
PersePolis
Persepolis Relief

そして目を見張るような、精緻でキメ細やかなレリーフの洪水。
PersePolis
Persepolis
原形をとどめてはいないのですが、それでも大きさといい細やかさといい、見ごたえは余るほどある。

柱はこんなもん当時の技術で作れたんか?と思うような出来映え。
PersePolis
Persepolis
宇宙人か何かの力を感じます。

で、一番長いこと見入ってしまったのはやっぱレリーフ。
メインのステージのようなところに行き着くまでの全ての階段に施されている。
PersePolis
Persepolis
王に謁見する為に、各地からやって来た諸皇族、民族たちの様子を描いたものだそう。
みんな貢物を持ってきて、それぞれが違うものだったり、人数が違ったり、芸が細かい。
他には大名行列でしょうか、武器をわんさか持っている描写もある。
PersePolis
Persepolis

これら残されたものからアレキサンダー、どんな人物や?と妄想したり、たぶん相当男前やったんやろうなー。。。完成予想図を勝手に想像したりできる。
PersePolis
Persepolis
ここもナカナカの妄想スポットでした。
一通り見終わり、ボーっとしながら座ってたら、偶然出会ったアリさん(エスファハンにて会っていた)もいて、同じくボーっとしながら、柱を見つつ、柱を倒そうとかしていた。倒れてきたら死にますよ。

ペルセポリスは教科書で見ていた7倍は広かった。
柱があるところ以外にも祭壇なるものもあるし、王様のプライベートスペース的な鏡の間(左右対称に建設されてることから)なるものもあり、どこを見るにも徹底されたビジュアルが迎えてくれた。
PersePolis
Persepolis

近代の建築にも美しいもの、素晴しいものはあるけれど。
紀元前のもっと昔から、美に対する視線は綿々と息づいているのだなと実感。
だけじゃなく、現代人である自分には、今よりも更に鋭いように感じた。

遺跡を見ると毎度毎度、時間というものが何か意思を持ってるような、物理的なもののような、不思議な感覚を覚えます。
自分の時間も、それくらいマッシブな強いものだった、と感じられるよう日々送れればいいんですけどね。
Persepolis
Persepolis

にしても今回の記事、画面は青と茶色しかないいっすね。。。それでも彩やかでしたよ。
| stroll1 | 18.Iran | 04:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
Islamic Fes
Tasua - Ahshura
Ahsura
ちょうどイスファハンを訪れていた頃に開催されていたタースアー(26.12.09)とアーシュラー(27.12.09)。
第三代目エマーム・フセインの受難日と殉教日とのこと。
ちなみにみにフセインは人々の開放の為に犠牲になったそうで、イラン人から絶大の支持を得ています。

Bob Marleyやなぁ。。。皆さんRedemtion Songを聞いてください。

この祭というかイラン人の特別な祈りの日は、いつもの黙々としたものの延長線上にあった。スピーカーからフセインの歌的なものを爆音で流し、皆が鎖の束みたいなものを肩に打ちつけながら黙々と練り歩く。
Tasua - Ahshura
Ahsura
人によってはオーバーリアクションな振る舞いの者もいる。

その他、チャーイがタダ、メシも配給されるなど、市民運動会的な雰囲気が漂ってました。
この日の為にどんだけの仕事がなされてるのか。
Tasua - Ahshura
Free Chai

で、いつもよりテンション高いのが、アーシュラーの時。
ステージが組まれ、ちょっと怒声交じりに熱唱するシンガーやスーフィーが現れ、何かパフォーマンスしては消えていく。で、また出てくる。
Tasua - Ahshura
Ahsura Stage1

祭の起源・理由はわかりましたが、その行為の意味はよく分かりませんでした。
いままで、意図のよく分かる宗教はあまりありませんでしたけど。
けど、マックス時には、「何をそこまで」という感情でいっぱいでした。
Tasua - Ahshura
Ahsura

それだけに、物としてのボリュームはありました。


それにエスファハンに着く頃には、数多くのイラン人とのやり取りを交わしている。
Esfahan
Iranian Nice Man
そのやり取りの中には親近感の湧くような出来事が多々あり、もはや「お陰様です。イランちゃん。」な自分になっていた。

そんな僕が尊敬できたのは、イラン人の強靭なメンタリティ。
それはテンションの高さという、単純なものに起因する薄っぺらい感想かもしれないけれど。

Tasua - Ahshura
Ahsura

情勢的にもいろいろな事情を抱える中東の国では、ふとした世間話もそういった話題に触れることが多い。
そこからの弊害は、大なり小なり無関係に地元の人たちを巻き込んでいる。
Mosque
Ahsura

それによるストラグルなるものと戦うまでは行かなくとも共生しつつ、「どこの国でもないイラン」を作ってる地元民に対する畏敬の念は日々積もっていってたんだろうなと。
今回のアーシュラーでは、それをはっきりと、積もった分だけ感じることができたと思う。

もともとアーシュラーで感じることはもっとあるんだろうけれど、知識不足で感受性の薄い僕にとってはこれだけで腹いっぱいでした。

でもほんまに、イラン人っていつでもどこでも、どこか楽しそうなんですよ。
Tasua - Ahshura
Thasua
| stroll1 | 18.Iran | 00:53 | comments(2) | trackbacks(0) |
Esfahan de Christmas
Esfahan
Esfahan Sign Board
日本でもクリスマスが若干苦手。だからイランへ来たと言うわけではないんですが、イランはクリスマスの雰囲気は100分の1くらい。
その1って言うのは街に3個か4個くらいはクリスマスツリーがある ―て言っても店舗のディスプレイ程度、とか、アザーン終わってから聞こえた携帯の着信音がクリスマスソングやったりとか、若い奴らがクリスマスソング歌ってたりとか、そんな些細なことですが。
Esfahan
Esfahab de Display
良くも悪くも大きな1%なんかな?と思います。

そんなイランのクリスマスを過ごすのに選んだ所が「世界の半分」と評されるイスファハン。
16世紀中ごろくらいに、「世界の魅力の半分が詰まった所やで�」と言われたのがその由来だそう。
Esfahan
Md Emamm
その代表的なサイトがエマーム広場と言うことでした。

けどかつては「世界の半分」と言わしめただけのことはある。
ムスリムの美に対する追求や神に対する尊敬の心が詰まった広場は綺麗、以上にほっと落ち着く心地いいところ。
Esfahan
Md Emamm
ちょうどタースアーなる祭りを明日に控え、チャーイの飲み放題サービスもあったためモスクを見たり宮殿に登ったり、という観光を二の次に「公園に日光浴に来た�」感覚で寛がさせてもらった。
Esfahan
Md Emamm

同じ所に宿泊していた日本人・アリさんとの相性もあって、日本でもナカナカできないゆっるーい休日となった。

けど、イスファハンにはそうさせられてしまう空気が、あらゆる所に漂っていたのも事実。
やや南側にあるザーヤンディー川とその橋の雰囲気がもう鴨川もしくは嵐山。京都に縁のある僕としては帰ってきた感。
Seo O Se Bridge
Seo o se Bridge
そこに京都の川床のようなチャイ屋があったり、デートしてるイラン人カップルがいたり、柳の木々が多い茂ってたりと、グッジョブなエリアなのでした。

数多くある中でも、東側にあるカジュー橋がツボでした。これ橋なん?と思わせる2階建てのもので、遠目には城かなんかの城壁に見える。
Esfahan
Khaju Bridge
1階は水に面していてインド・バラナシのガート的に使うイラン人も。あそこまで強烈に使ってないですけど。
Esfahan
Khaju Bridge
イマーム広場にしろザーヤンディー川にしろ、なんかイランに来といて、イラン以外の異国情緒を感じるところでした。それだけにイラン人観光客も多い。

最初「世界の半分」と聞いてやってきたものの、はっきり言って、その称号はもはや昔の話。
この街には凄くお世話になったけど、21世紀にもなった今、ここには半分もないと感じました。
当然か。
Esfahan
Around the Meidan
少ない経験ですが、そんなに世界は狭くない。
それでも、僕の中の世界、その半分はやっぱり日本にあるなと、京都みたいな景色を見ながらしみじみ思いました。
ホームシックにかかってるわけではないのだけれど、何かせきたてられるものを抑えつつ、チャイを飲むこととなりました。
Esfahan
Chaihane above the Zayandi riv.
| stroll1 | 18.Iran | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
Iranian Capital
Tehran
Meidan of Tehran
イランの首都テヘラン。ビザのことやちょっとした用事の為、1週間くらい滞在した。
あんまし見るものが無いと言われているけれど、それも遠からず。
観光はそこまでしてません。
お世話になったホテルのホームページも少しいじたった。
ムサヴィの喜ぶ顔が嬉しかったです。
実際僕は泊まってませんがおススメです。
ここ>です。

そんなテヘランですが、個人的にアラビア文字が好きなこともあってそのデザインばっかり見ていた。
大国だけあってデザイン書店なんかもあり、日本で「暇をもてあました時に行くツタヤ渋谷店」みたいな感じで通ってました。
そんだけデザインに関しても意識が行ってました、テヘラン。
Poster
Iranian Poster
アラビア文字が元々かっこいいからキマるポスターもチラチラ見えて悔しい限りでした。


またギャラリーも多い。
有名な宝石博物館(ここは必見)も良かったのですが、個人的なイチ押しはガラスミュージアム。
古い出土品なんかを一挙に展示している博物館なんですが、その展示方法がナイス。
Glass Museum
Glass Museum
博物館と言うよりは美術館・ギャラリーといった趣がナイス。
展示品もさることながら照明の当て方やケースがいちいちナイスでした。


下手ウマの極致。京都の和菓子みたいに陳列されてました。
Glass Museum
WaGaShi


ケースに目がいく局面もある。
Glass Museum
Glass Museum


デザインの意図を説明するような照明。軽やかです。
Glass Museum
Flower Vase


1個1個細かい仕事を見ることができる。
Glass Museum
Glass Museum


凹凸がはっきり出てていいです。シャープです。
Glass Museum
Couple of Cup


ふっつうに置かれてんのもある。コレにはこだわって欲しかった。
Glass Museum
Pitcher


ええとこのエレベーターみたいな。
Glass Museum
×4 Elevater


展示方法だけじゃなく、ほんまに目を見張るようなモノも多数ありました。
Glass Museum
Pitcher etc...


仕掛けた側があーでもないこーでもない考えながら試行錯誤を楽しんでるのが一番伝わりました。
これまたおススメです。
Glass Museum
Glass Museum
| stroll1 | 18.Iran | 23:31 | comments(2) | trackbacks(0) |
Holly Land
Emam Rezar
Emam Rezar
チベット仏教徒にとってのポタラ宮、ヒンドゥー教徒にとってのバラナシ、スィク教徒にとってのアムリトサル。
そしてシーア派イスラム教徒にとってのマシュハド。

ここマシュハドは聖地。

Emam Rezar
Emam Rezar
ここを訪れる信者たちは、皆エマーム・レザー廟を目指してやってくる。
イスラムの中では少数のシーア派ですが、イラン人のほとんどはシーア派。ここにはその聖人、エマーム・レザーの棺があるということなんです。

目的はもちろんそのエマーム・レザー廟。それ以前に聖地を訪れたい、と言う気持ちが強い。
Emam Rezar
Emam Rezar from Bazzar Rezar Street
今まで行ってきた聖地、バラナシにしろアムリトサルにしろそこは何ともいえない、異教徒にとっても特異な雰囲気を持つ所でした。ここマシュハドはどうでったのでしょうか。

ここで一番見たかったのは、もちろん廟の中心にある棺。出会った多くの人が「見といたほうがいい」と評していたこともあり、どんなものかという妄想だけが拡がってました。

入ってみて即納得。そこは万華鏡的というか三輪明宏的というか、一面に小さな鏡を散りばめた空間。2次元とも3次元とも取れるような、奥行きが分からなくなるような世界でした。
カメラ持込み禁止の為、画像は一切ないのですが。
けど写真を撮らないと、その行為全てを何も気にせず見ることができるから、観光には向いてるのかな。
確実に一長一短で、短のほうが大きすぎますが。

中で行われていたのは礼拝に違いはない。
Emam Rezar
Emam Rezar Entrance
けれど、今まで見てきたアザーンのような黙々と祈る姿と、棺を触ろうともみくちゃになりながら押し合いへし合いしてる姿とが両極端に存在していた。
触ることができた暁には感極まって泣き出す者も。エマーム・レザーにはそれだけの背景があるよう。
今までのムスリムの姿のその180度の位置にあるような光景は目に焼き付く。

熱気と声、シーア派の中心にある棺に向かう気持ちの流れ、靴を脱ぎたての足と汗の臭気などで肌がピリピリした。同時に心のそこから何かがじんわりと来た。

その何かって言うのは、信仰心の薄い僕にとっては少し息苦しいものでもあった。
この異様な光景を脳裏にしまいこんで、追い出されるような気持ちでここを後にした。
Emam Rezar
Emam Rezar Front
で、この棺以外も凄いです、エマームレザー廟。
広大な土地であることは間違いないのですが、横にも縦にも拡がりすぎてて、自慢の「km感」は損なわれっぱなしでした。
サマルカンドのレギスタン広場が4個ぐらいある感じ。
Emam Rezar
Emam Rezar Entrance

世界からやってくるシーア派ムスリムを全て飲み込むんやから当然なんでしょうけど。
ここにはひっきりなしに人の往来がある。
大通りなんかも、完全にホコ天になってました。
Bazzar
HOKOTEN
銀座以来のホコ天。

エマームレザーの棺は、金色のドームの下にある。
トルクメニスタンの金色ドームと違って、何か悪趣味に見えないのは何故なんでしょう?個人的な感情からの感想ですけど。
Gorden Dome
Golden Dome
夜間ライトアップされたそれを見、抱く感情は「凄い」でした。
トルクメニスタンのは「ある意味凄い」でした。
完全にバイアスです。

あと、イランの若い奴らは、はるばるやって来た、と言う笑顔で写メを撮りまくり。
さっきまで、若いのにアザーンの祈りをひたむきにやってんねんなぁ、と思わせていた女の子もその後写メを撮りまくり。
微笑ましく見させてもらいました。

また、マシュハドは2泊あればゆっくり観光できる。門前町のように広がるバザーレ・レザーは普通の日本の商店街と言う感じ。
Bazzar Rezar
Bazzar Rezar

それより廟の北側のほうが面白かったです。
Bazzar
Bazzar
よくある活気あるバザールなんですが、出会いがあったこともあり、お気に入りの場所になった。貴重な半日がそこで気持ちよく潰れることに。
Iranian Posse
Iranian Posse

聖地だから、ということはもちろんあるんでしょうけど、それだけではないマシュハドは、心に残る場所の一つになった。
またここは、イラン人を見る目に新しい大きな価値観を加えてくれた。
強い気持ちは人の心に、観光客の心にも様々なものをもたらしますね。
ちょっと悔しくもあったけれど、負けてられないです。
HOKOTEN
Great HOKOTEN
| stroll1 | 18.Iran | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
Jurassic Cave
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave
イランの次なる目的地は、思いっきり自然観光。
ということで、ハマダーンのジュラシック・ケイブ、アリサドル洞窟にやって参りました。
ここにはジュラ紀から形成され続けた大洞窟、鍾乳洞があるとのこと。

洞窟があるのはハマダーンから小1時間ほどバスで走ったアリ・サドル村。
沙漠というか、荒涼とした厳しい環境の中にいきなり立派な建物がそびえている。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave Entrance
ここはこの洞窟様様という感じの村でした。

中に入ると、外の寒さが嘘の様な生暖かさ。夏と冬の温度差が外よりも無いとのこと。夏に来たらいいんでしょうね。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave
洞窟の探検は足こぎボートで行われる。年季の入ったマシンで進む地下の湖は生物が全く住まないため、10m底まではっきりと見える。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave
見えすぎてちょっと怖いっす。


それよりもイラン人観光客のテンションの底が見えない感じがもっと怖いっす。
Crazy Iranian
Iranian Tourists
そういえばこのイラン人たち、ハシシ吸いまくってた。社会問題にもなるくらい蔓延してるとのこと。
見つかったら死刑。いいのか、この人ら?

進むにつれて、この洞窟の大きさを実感できる。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave
どこまで行っても水面は続いてるし、高さ20mくらいあるホール的な所に出るし、水深は10mを越え出すしで、その威容に改めて地球の歴史の果てしなさを思い知る。

所々に自然オブジェと言う感じで見所があり、「巨大ろうそく」とか「ぶどう棚」とか「自由の女神」とか名が付いてる。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave
個人的に?なネーミングもあったけど、キャプションが付いてるところのオブジェはやっぱ凄い。
時間をかけることでしか創れないもの、その時間の長さがそのままそのオブジェの魅力となっている。
ほんでやっぱバカでかいし、圧倒的な迫力を持っている。
自然のオブジェだけじゃなく、ここにこんな空間があること自体が、何か意味があることのように感じてくる。
偶然できたとしか言いようが無いのだけれど。

地球さんには勝てないっすね。勝ち負けちゃうけど。

探検は最初ボート、途中から30分ほど歩き、またボートに乗って帰るというもの。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave

途中、感極まりファルシーで熱唱しだすイラン人。解らんでもないけど、ちょっと上手く歌いすぎや。
Ali Sadr Cave
Ari Sadr Cave

久々の自然体験は、人生初の鍾乳洞探検となった。
イラン人ジャンキーに出会ったり地球の存在感に出会ったりペダル漕ぎすぎで軽筋肉痛に見舞われたり。
最近の観光とはちょっと違った趣を持った2時間。
探検と言うには大げさだけれど、自然だけではないナカナカいい出会いがたくさんありました。
Jurassic Cave
Ari Sadr Cave
| stroll1 | 18.Iran | 17:03 | comments(2) | trackbacks(0) |
Japanese Spirit
Bandale Anzalee
Japanese Restaurant
イェレバンの情報ノートで見た「イランでうどん」の文字。日本で1週間に5日はうどんを食ってるものとして行っとかな、ということでバンダレ・アンザリーなる所へ赴いた。
アルメニアからこっち、タブリーズもそうでしたが寒いところばかり。だからここ、バンダレ・アンザリーの温かい天候には凄く助かった。バス降りてからの待ち時間とか。
Bandale Anzalee
Bandare Anzalee & Caspian Sea
カスピ海沿岸で常に温かい風が入ってくるからとのこと。うどんを食べるのにモッテコイの気候になっていた。

うどん屋は地元でもそこそこ有名ですぐ見つかった。「ジャパニーズ・オリエンタル」とか言われてましたけど。
日本語堪能なうどん屋の主人はナカナカ気さくな人。自分で店の内装や外装をいじる、これまた好奇心旺盛な人イラニアンでした。
何故うどん屋をやってるのかというと日本で働いていた経験から、日本食が好きになったから、とのこと。
Menu
Japanese Menu
その他にもチャーハンやスシも出している。


店は日本の立ち食いうどん屋みたいな感じ。自分でも「真似た」とあからさまに認めてました。ほんま日本好きなんやなー。
結果的に言って肝腎のうどんはというと、イラン風にし過ぎ、の感。麺はイラン人に合うようにとスパゲッティやし。。。
Udon?
Udon?
出汁も日本の材料使わず(そこは使おうぜ!)、イラン仕込みの出汁。天麩羅うどんの天麩羅に何故かチキン、ピーマンなども。
到底うどんとは言えないこの料理がイラン・スピリットなのでしょうか。

僕自身は、うどんの3文字にはそれくらいの思いを馳せているので。

けどここの主人と話をするのは面白かった。
10年くらい前までずっと日本−イランを行き来していたそう。
「昔は良かった。イラン人は日本へ行って3ヶ月くらい働いて、それから帰って遊んで、また日本へ行く。今はできない。けどその経験からノウハウ身に付いたし、日本人の発想(立ち食いうどんとか?)を生かして自分なりにやってる。まだ終わってないよ。」と言いながら、次のメニューをあれこれ考えていた。

あと印象的なのが俺のことを「お客様」と呼んでいたこと。染み付いてるんやなぁ。けどサービスと言葉遣いがつり合ってないよ。それが無性にかわいらしかったです。

また、「俺はいつでも仕事のことを考えてる。俺から仕事をとったら死んでしまう。」とも言っていた。日本のサラリーマンみたいに見えた。

日本のうどんを通して見たイラン人の魂。日本でいい思いをした人が多いから、日本にまた行きたいと思う人は多いよう。けど現状は不可能に近い。
だからと言って折れない、過去を過去のものとしてサバイブしてる人がたくさんいるようです。
Oyakata
Big Boss

ちなみにここのうどん屋の主人は吉野家が大好きだった為、今イラン牛丼を開発中。そのメニューの名もずばり「吉野家」にするそう(漢字を教えてあげました)。次行ったらあるかもしれません。
| stroll1 | 18.Iran | 17:58 | comments(2) | trackbacks(0) |
Come Back Again , Mouslim
Tablis
Tabries Sign
クリスマスの装いをチラつかせ始めたアルメニアを泣く泣く後にし、クリスマスとはなんら無縁の国、イランへ入った。
ボーダーから最初の目的地・タブリーズまではヒッチでの移動となったのですが、このトラックが速い速い。路もしっかりしてるし、流石は大国イランという感。アルメニアとの格差に何かを感じずにはいられなかった。
Road 2 Tabries
Tabries Sign
で、国境付近の人たちはイラン−アルメニア双方共に仲がよかった。いいですね。

タブリーズに入った瞬間感じたのが、ムスリムの国に帰ってきたということ。中央アジアもムスリムなんですが、やっぱり旧ソビエト圏のそれとは違う。パキスタン以来の空気感でした。
Tablies row
Tabries Row
街の雰囲気も活気が溢れ出しだすし、なぜか照明はビカビカのネオンが多い。
あと女性のチャドル(男は普通)や街中で流れているアザーンも、帰ってきた感を演出する1つとなっている。
別に、帰ってきたかった!という訳ではないけれど久々の感覚に顔が緩む。
Tablies Market
Tabries New Market

タブリーズは最初にある大きめの街、というだけで訪れたので、そんなに大きな見所はないよう。
けどいち観光客にとってイランは「違う国に入った」、というのが一つの大きな見所になり得た。
中でもバザールのでかさにはクラった。またバザールかいな、と思いながらも入ってみるとそこは外とは違う時間が流れているような活気。
Tablies Bazzar
Tabries Bazzar
基本的にはみんなの生きるスピードは速いのですが、時代は何十年か前に遡っているような感じ。昔からずっとこんなテンションなんやろうなぁ、と思わせる喧噪でした。
Tablies Bazzar
Tabries Bazzar
「イランでも有数」といっていたカーペット屋のオジサンの"どや顔"が印象的。けどカーペット屋はほんまに多かった。


その他、街にはブルーモスクなる物もある。
Arge Tablies
Tabries Blue Mosque
ムスリム建築の中でも最高傑作といわれているよう。けど地震とかで風化してしまい、当時の面影はうっすらとしか残ってない。しなびた印象が逆に良かったです。

Arge Tablies
Arg'e Tabries
あとは、アルゲ・タブリーズや数々のモスクなど見所が無い無いと言いつつも、歩いてると色んなものが目に付く。


けれど一番目に付く、というか心に入ってくるのはイラン人の優しさ、好奇心でした。
みんな本当に旅行者に親切。こっちが申し訳なくなるくらいの施しを与えてくれる人もいる。
ヒッチしたトラックの運チャンもそう。
最初は身構えていたのですが、途中から何か自分だけがおカタイ人みたくなっていることが果たして正解なのかと考えるようになった。イラン人と楽しく付き合えるようになったのはそれからでした。
Iranian People
Iranian People
最終的に心をオープンにするまではまだまだ経験が足りませんが、徐々にそれを開いていく出来事があるのだろうなぁ、と予感させる毎時間。最低限の気は引き締めはするものの、騙されるまでは気付かず心を開いていってしまいそう。
騙されたらそれまでなのですが、人を信用しないのもそれまで、なような気にさせるイラン(旅行としては間違ってるのだろうけど)。
信じるものは救われる、を信じて色んなイラン人と出会っていこうと思いました。
Tablies row
Tabries Sign
| stroll1 | 18.Iran | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
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